平成7年生まれの傍白

SNSの流れに左右されない場所に自分の日常を置いておきたくて、”あの頃のブログ”を始めてみようと思いました。

2021年4月2日、藤原基央の言葉にあの日の答えを見つけた日。

 

「あんね、未来はさ、何があるかわかんねぇじゃん。」

 

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ここに来て今更、BUMP OF CHICKENというバンドにハマってしまった。”BUMP OF CHICKENというバンド”なんて言い方をするのもおかしいくらいの、この国では5本の指に入るんじゃないかってくらい有名なバンド。私はそんなに数多くのバンドを知らないから、5本の指というのは多少言いすぎているかもしれないけれど。

 

BUMPにハマってからというもの、仕事から帰宅して、お風呂に入ったあと、一人で氷結(無糖レモン)を飲みながらBUMPのMVを見るのがここ一番の楽しみになっている。愛用のSHUREのヘッドホンから流れる藤原基央(さん)の声に包まれながら、物思いにふける時間が一番の幸せになっている。あと、そんな自分をちょっとかっこいい(イケてる)と思ってしまっている、というのは秘密。

 

MVを見ながら、コメント欄を覗いていると、「2019年の東京ドームライブ、aurora arkの映像がNetflixで配信されている」というなんとも素晴らしい情報をゲットしたので、2日に分けてその映像を見切った。1日で全て見るのは心が保てそうになかったので、2日に分けた。しかも中1日空けた。それくらい心を持っていかれる、あるいは心が受け止めきれなくなる、容量オーバーなライブだった。

 

さて、私の言語化能力でライブの内容すべてについて書いていくのは少々厳しいのでいつか私が成長したときのためにとっておくとして、私が今日この瞬間に綴っておきたいのは、そのライブのアンコールMCでヴォーカルの藤原さんが語った言葉について。

 

 

メンバーがすべて掃けた後、ステージに一人残った藤原さんは、正面に向かって深くお辞儀をした後に、あの、柔らかいけど強く芯のある声で、ゆっくりと話始めた。

 

「なんか、魔法みたいな夜だった。お前ら今日さ、いっぱい歌ったじゃん。お前らさ、お前さ、大きい声で、或いは小さい声で、時には心の中で、いっぱい歌ったじゃんよ。俺わりとしつこく煽ったからね。」

 

藤原さんの抜けるような一言に、会場に笑いが起きる。

 

「声聞かせてくれよ、歌ってくれよってさ。応えてくれてありがとうな。ちゃんと聴こえたよ、嬉しかった。」

 

今度は大きな拍手。

 

「今日の、お前のその歌声ってのはさ、お前が歌ったその歌声ってのはさ、俺とか、今日のこのステージに立ってる4人に向けてのためのものだけじゃなくてさ、時間と距離を飛び越えて、未来のお前自身に向かっていくんだと思うよ。明日以降の、未来のお前自身に、今日お前が歌った歌声が向かっていくんだと思うよ。そういうもんだと思うよ。」

 

「あんね、未来はさ、何があるかわかんねぇじゃん。今平気かも知んねえけど、今ここで皆んないい笑顔でさ、俺たちの音楽聴いてくれたけどさ、明日が普通に来るかもわかんねえし、明日が平気でも1年後10年後20年後、もう辛い、しんどい、立ち上がれない、生きていけるんだろうか、そうやって思う時が来るかも知んない。」

 

 

私は、もうこの時点で号泣していた。

 

本当に、未来は何があるかわかんない。永遠に続くと思っていたものが突然無くなったり、形を変えてしまったり、過去の自分からは想像ができないような自分が今を生きていたり。こうしてマスクをつけて他人と一定の距離を保って生活することが、あたりまえになる世界なんて、まさに「未来はさ、何があるかわかんねぇじゃん。」だよ。

 

2019年の藤原基央が放つ「未来はさ、何があるかわかんねぇじゃん。」に2021年の私はひどく共感して、悲しみなのかなんなのかわからない涙があふれてしまった。

 

いや、もしかしたら、ここから藤原さんが言わんとしていることがわかったから、さらに感情が昂ったのかもしれない。

 

藤原さんの言葉はこう続いた。

 

「そういう時に、力になれるように、今日お前が歌った歌ってのは、未来のお前に向けて旅立ったんだと思うよ。」

 

 

予想通りの言葉がきたけれど、予想以上に心に刺さって、私はさらに声をあげて泣いた。

ただ、藤原さんの言葉に感動したからではない。藤原さんの言葉を引き金として、思い出してしまったから。

 

半年前、社会人1年目というプレッシャーからか、思い描いた通りに進まない人生、自分に失望したからか、学生の時には抱けていた”夢”というものについて今は微塵も考えられなくなってしまったからか、ふと、「もう死のうかな」と思ったことがあった。

 

学生のころは「明日死んだらどうしよう」と、その終わりに恐怖を抱けるほど未来や夢に向かって生きていた自分が、1年も経たずに「死」というものに自ら向かおうとしているんだと気づいて、さらに死にたくなった。身体は生きていたけど、自分が死んでしまったような気がした夜だった。

 

その夜、なんで私が思い止まれたかというと、生を諦めかけた瞬間に、好きなアーティストの初めての東京ドーム公演に行った日の思い出が、頭に浮かんだから。

私が中学生のころから、もう10何年も好きなアーティストで、海の向こうから日本に来て、地道に日本活動を続けながらやっと達成できた東京ドーム公演。そんな大きな意味のある公演で、彼らと一緒に歌を歌って、名前を叫んで、声をあげて涙を流した、あの時の思い出が頭に浮かんで、「今死んだら、彼らとの思い出もなくなっちゃうんだな。」と思ったから。「それは嫌だな」と強く思ったから。だから私は、今生きている。嘘みたいだけど、紛れもなく本当にあった話。

 

そんなあの夜の出来事に、「今日お前が歌った歌ってのは、未来のお前に向けて旅だったんだと思うよ。」という藤原さんの言葉が重なった。というか、藤原さんが一つの答えをくれたんだと思う。あの夜の私は、何年か前の私が、愛するアーティストと一緒に歌った歌に、あの時の私の歌に、救われた。それを藤原さんが、言葉にしてくれて教えてくれた。だからこんなにも涙が出たんだと思う。

 

藤原さんの言葉を、他のアーティストとの思い出に重ねることは、もしかしたら長らくBUMP OF CHICKENを愛してきたファンの方にとっては気分が悪くなることかもしれない。だけど、私は今、BUMP OF CHICKENに出会ったから、藤原基央の言葉に、別の道を歩んできた私の人生を重ねられるから、だからこそ私は、彼らの音楽を私に寄り添わせることができるんだと思う。だから、これからも私にしかできない受け取り方で、彼らの音楽を聴いていこう、そう心から思った夜だった。

 

(実は、このライブでの藤原さんの言葉には続きがあって、その続きこそが素敵なんだけれど、今日はここまでにしようと思う。それについて書くのは、もう少しBUMP OF CHICKENというアーティストを知ってからの方がいい気がするから。)

 

じゃあ、今日もお疲れ様でした。

 

 

 

2021年4月2日(金)

25歳の私